神馬笛(ジンバブエ)をめぐる冒険

ジンバブエで生活していた時の記録です。

ジンバブエ・インフレーション まとめ2

前回のジンバブエ・インフレーションのおさらいでは、この国に存在する3種類のレートについて説明しました。
今回はその大きな流れについて書きます。
その前に一つ。以前どこかに書いたとは思いますが、現在というかここ数年、ジンバブエで流通しているのは厳密に言うとお金ではなく、bearers checkと呼ばれる、小切手の一種のようなもの。

2008年8月以前(10桁デノミ前)
この頃は基本的に2種類のレートであった。バンク(公式)レートとキャッシュレートの2つ。
チェックレート(RTGS)もあるにはあったが、キャッシュレートよりレートが少し良い程度。
そのため、外貨を持ってる人間は便利なキャッシュレートで両替をするというのが主流だった。(RTGSの場合、銀行間送金なので時間かかる。ATM前にはいつも行列あるため)

2008年8月以降(デノミ後)
デノミに伴い新紙幣(新bearers check)発行、昔のコインも使えるようになる。
*ここで用いられた紙幣は、2008年年初に発行されると噂され、印刷も終わっていた紙幣[本物の紙幣]が用いられたと思われる。当時は結局bearers checkから紙幣への移行は行われず、デノミもなかった。が、今回デノミをし、新札を発行するにあたり、欧州の経済制裁による札不足のため、今回これが用いられたと考えられる

紙とインクの不足に伴う、札不足は結構深刻であった。インフレも進む

札不足のため、小切手(普通の)やカードで買い物をする人が増える

札不足のため、キャッシュレートはあまり大きな変化を見せないが、チェックレート(RTGS)の需要は増え(札は必要ない)、チェックレートだけ飛躍的にレートが上がる

このため、バンクレート(有名無実なレート)・キャッシュレート・チェックレート(RTGS)の3種類の構造が出来上がる

商店等もキャッシュレートとチェックレートの値段を分け始める(物によって)

小切手を使う人増える

銀行の札不足がさらに深刻化し、商店等が小切手を銀行で現金化できなくなる
(チェックレートだけ飛躍的にあがっているため)
*この国では、銀行に外貨の口座を持っていても、それを外貨の現金で引き出すことは難しい。商店等が小切手を介してジンバブエドルを得て、それを外貨に交換しようと思うと、ジンバブエドルの現金を直接外貨に交換(闇レート)しなければならない。ただ銀行の引き出し限度額は個人より法人の方が低く設定されており、商店等は外貨を得て、それを同価値のままキープするのがむずかしい。

商店等が、小切手での支払いの受け取りを拒否し始める。このころからジンバブエドルの高額紙幣も出始め、外貨で商売するとこも増え始める

高額紙幣の登場により、キャッシュレートが飛躍的に上がりはじめる。チェックレートも上がっているが、小切手を受け取ってくれる場所が減り、実際的なレートではなくなる。外貨で商売する場所はかなり増える

さらに高額紙幣は出続け、銀行の引き出し限度額もあがりつづけ、インフレはひどくなり続けている

まあこんな感じです。簡単に書くつもりが結構長くなりました。
まあ何か質問でもあれば、是非。

金と送別会

えー、こんにちは。

なんか記事を書かなかった、ここ2日くらいの間にまたいろいろあったみたいです。
まず、新札の発行。もうなんか新札出過ぎで慣れてきましたね。ここまで頻繁に出ると。
今回は500millionZW$札と200millionZW$札が発行されました。
銀行の引き出し限度額も1週間で500millionZW$になりました。
それに伴い、キャッシュレートも急上昇。
昨日の時点で、1US$=150millionZW$まで上がってます。まあ止まる要素はないので、まだ上がるでしょう。ちなみに今週水曜日で1US$=40millionZW$程度でした。
コレラの死者もかなり増えたようですね。まあ無策なので止まりません。
大統領が「ジンバブエのコレラは根絶された」と言ったようですが、それを本気で言ってるのなら、もはや病気ですね。さすがにひきます。

えーそんなこんながありながらも、僕の送別バスケットボール大会が終わって、僕の活動が終了しました。
合計1年8ヶ月間本当にいろんなことがありましたが、これでやっと肩の荷がおりたっていう感じです。
本当に、自腹で戻ってきてよかったと思います。

「けんたろーがいなかったら、ビンドゥラのバスケットボールが発展する事はなかった」
と、いつも一緒に働いてたコーチに最後に言ってもらえて救われた気がしました。
こんな酷い状況下でも、バスケを教える事しか出来ない僕。でもそれを受け止めてくれた気がして本当によかったです。

まあ送別会も、時間通りに始まらず、相変わらずのジンバブエらしさでしたが、いい会でした。久々にバスケできたし。みんなに会えたし。悪ガキの教え子が、いきなり彼の大事にしてたユニフォーム渡してくれたりで。

最後に一つ。
この送別会のときに、僕の日本人の友だちがビールを何ケースか持ってきてくれました。
で、もちろん僕らはその場で飲むものだと思っていたのですが、ジンバブエ人の一人が、
「こんなの普段は飲めないから、クリスマスのためにとっておく」と言って、何本か家に持ち帰りました。
これも現実。

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僕が来てから出たお札たち
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500million札
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僕の仲良し友達。僕の向かって右がバスケコーチで、左が親友
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僕がビンドゥラ滞在時にお世話になってた家族。決して裕福な家ではないけど、僕にいつもご飯くれてました。ジンバブエ人のそういうとこすばらしいと思います。

あの人は、今

そういえば野党党首のチャンギライさんはどこで何をしているのですかね?
たまにコメントを発表したりしてますが、なかなか公の場に出てこないですね。
また選挙の時みたいに、「暗殺される可能性が」とか言って、外国を転々としているのでしょうか?

もう最近では、大臣のポストを決める会議も開かれていません。
コレラのことなどもあり、なんか曖昧なままですが。

実際、最後の会議で野党側が「このままじゃらちがあかない」と会議の継続を見送って、そのまま会議が開かれていません。
絶対に投げだしちゃいけないのに、野党側が重要な会議の継続を放棄したようです。
そのままチャンギライさんの姿を見かけなくなりました。
野党MDCの本部の建物周辺も以前よりひっそりしています。

チャンギライさんは第1回選挙の頃は、大統領を倒すべき人としてすごい歓迎されていました。
しかし、その後彼に対する国民の評価は落ちる一方です。

2回目の選挙直前で逃げちゃうし。(あそこまできたら、きれい事をいうのではなく、僕は最後まで選挙を戦い続けるべきだったと思います。)
その後、首相のポストを得てからも、交渉べたを露呈し、与党側の好きなようにされてるし。
なんかリーダーシップも不十分で野党MDCを統率出来ていないし。
などなど。

そんなこんなで、彼の評価は国内であまり高くはありません。
「今の独裁政権は駄目だけど、チャンギライさんが大統領になっても、実際どうなの?何もできないんじゃないの?」
みたいな感じで、言われています。
そういう風刺画なんかも新聞に載ったりして。

彼がより、多くの意味で力のある人間であれば、ここまでの状況ではなかったと思います。
残念ながら、彼はそこまで優秀な指導者ではないようです。指導力、指導者という点だけに着目すれば、ムガベ大統領の方が断然上でしょう。(ただ彼はその力を間違った方向に使ってしまいましたが)

チャンギライさんにもっと頑張ってもらうか、スティーヴ・ビコ(南ア、興味ある人は映画「Cry Freedom」を観てね)のような指導力のある、人間的にも素晴らしい人の登場を待つしかないようです。


追記
土曜日に、ビンドゥラで僕の送別バスケットボール大会があり、土曜日まで準備とかでビンドゥラに缶詰なので、次の更新は土曜日以降になりまーす。
わざわざこのブログを読んでくれている人には申し訳ないですが、しばしのお待ちを。
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